東京オフィスシリーズ
 
 
 

今がチャンスだと思った。これがチャンスだと思った。

満員のエレベーターの中でポスターをかかげながら歌ってみよう。歌うしかない。

エレベーターが止まるごとにサビの部分を歌うのだ。

9、10、15、16、20、と点灯している。今は5階。よし。

「みなとの~か・も・め・に~なぐさぁめぇらぁぁれぇ~て~」

大きな声を出したはずだったのだが、「すみません」といってオレを押しのけた

大柄の女性が9階で降りた。

どうやら歌は歌えていないようだ。だめだ、これじゃあだめだ。

あ、あっというまに10階。よし、ここだ。

「みなとの~か・も・め・に~なぐさぁめぇらぁぁれぇ~て~」

なぜ歌えないのだろう。

声を出しているつもりだったが、やはりこの混雑がよくないのだろう。

むしろ、人が少なくなった方がいいのかもしれない。

レコード会社に入り、研修を終えて最初の担当が、この売り出し中の演歌歌手。

顔はいまいちだが、ボディと性格はいい。きっと売れるはずだ。この人のためにも!

コンサルティング会社の友人が、「エレベーター・プレゼン」というのがあると言っていた。

常に忙しい社長などに、エレベーターの中の数分で「報告と提案と承認を取る」という
すごいテクニック。「いいんじゃない、それで」と言われたら成功だという。

それだと思った。それがチャンスだと思った。

エレベーターの中で営業すれば、注目度が高いはずなのだ。

なるべく中高年が多そうなビルを選び、ゲリラ的にやってみようと思った。

回想しているのもつかのま、あっという間に10階を過ぎたことに気付く。

20階に迫ろうとしていた。

乗客は5人。

今しかない。腹に力をいれた。


「みなとの~か・も・め・に~なぐさぁめぇらぁぁれぇ~て~」

「こよいの・舟は・ひとりぁ~きぃぃり」

「あ・あ~夢岬~」

「ウングレコードから売り出し中の演歌歌手・・・」

「20カイデゴザイマス」

やさしげな女性の声のあと、ドアが開くと同時に乗客が一気に降りた。

結局、歌えなかった。誰もいないエレベーターで歌っていた。

その様子を、警備室の警備員が見ていた。

 
 エレベーター営業(ショートショート、極短小説)

(絵:文 ©ハヤテノコウジ)